大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和50年(う)981号 判決

被告人 甲野太郎

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、東京地方検察庁検察官検事伊藤栄樹作成名義の控訴趣意書、東京高等検察庁検察官検事富田孝三作成名義の「控訴趣意書に対する訂正申立書」および「控訴趣意の補充及び答弁書に対する反論書」と題する各書面にそれぞれ記載されたとおりであり、これに対する答弁は、弁護人百瀬和男、同白谷大吉、同志賀剛連名作成名義の答弁書、「答弁書に対する訂正の申立」および「控訴趣意の補充及び答弁書に対する反論書の答弁」と題する各書面にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらをここに引用し、これに対して、当裁判所は、次のとおり判断する。

第一部  控訴趣意中、事実誤認を主張する点について

所論(控訴趣意第二ないし第四)は、原判決が無罪とした現住建造物等放火の事実につき、事実誤認を主張し、「本件火災に接着した時刻に、現場近くで被告人を見かけたという原審証人Oの供述は、目撃の際の状況に照らして十分に信用しうるものであり、かつ、同人が自己に対する放火の嫌疑を他に転嫁したという疑いも存しない。また、捜査期間中、放火の事実を自白した被告人の供述は、警察官の違法、不当な取調によつて得られたものではなく、いわゆる秘密の暴露に当る事実も含まれており、十分信用に値するものであつて、原判決が右自白を信用しえないとして挙げた諸点は、いずれも理由がない。」などというのである。

よつて、記録および証拠物を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて検討すると、まず、

(一)、昭和四八年一〇月二六日午前二時三〇分ころ、東京都中野区弥生町五丁目二一番一号に所在する東京都立富士高等学校の鉄筋コンクリート造り四階建校舎のうち、二階化学準備室前廊下の木製掃除用具入れ箱内、一階一一一番教室(全日制第一学年A組使用)前廊下の木製掃除用具入れ箱内および一階一一二番教室(全日制第一学年B組使用)内の生徒用木製椅子に差し込まれた竹ほうきの付近の三個所からそれぞれ出火し、火が右木製の箱、竹ほうき、木製椅子等を経て、右校舎の壁体、天井、柱、床板等に燃え移り、延べ床面積約六七・六平方メートルが焼燬したこと、

(二)、右火災は、出火時刻、出火場所等に照らして、なんびとかの放火によるものと思われること、

(三)、被告人は、右火災当時、同高校定時制第一学年A組に在学中であつたこと、

以上の事実は争いがないところであり、関係証拠により、これを認めることができる。

第一、Oの供述の信ぴよう性について

一、Oの原審供述の信ぴよう性

Oは、本件火災当時、富士高校定時制四年A組に在学し、同高校の近くに下宿していたものであるが、同人の原審証人としての供述の要旨は、

「昭和四八年一〇月二六日午前一時過ぎころ、試験勉強で疲れた頭を休めるため、下宿を出て、校庭の垣根の金網の破れ目から、校庭内に入り、兎とびやランニングなどをしているうち、新館裏の変電室あたりに人影を見たので、これを確かめるため、体育館裏へまわり、ブロツク塀のところで様子をうかがつていると、東方から人影が近づいて来て、自分と一メートル足らずのところをすれ違つた。見ると、前にプールでいつしよに泳いだとき、警察官だといつていた人、すなわち被告人であつた。」

というものであり、もしも、右供述のとおり、Oが当夜右体育館裏で被告人とすれ違つたものであるとすれば、被告人の捜査官に対する自白は有力な裏付けを得たことになり、他方、被告人が原審公判廷において供述する、「当夜自宅で酒に酔つて寝ていた」旨の弁解が根底から崩れ去ることは、争いがないところである。

ところで、所論は、Oの右供述は措信できるものであるというのであるが、

(一)、午前一時三〇分ころの時刻で、本件火災当夜とほぼ同じ暗さと思われる状況の下で、当裁判所の行なつた検証の結果によれば、Oのいた校庭から、人影がいたという新館裏の変電室あたりを見通すに、見る者が静止して、暫くの間凝視を続けた場合に、新館裏になにか黒つぽいものが動いていることをようやく看取しうる程度であることが認められ、Oのように、ランニングなどの運動をしながらでは、到底新館裏に人影がいるか、否か、それが動いているか、否かを確認することは、不可能と思われること、

(二)、たとえ、Oが校庭から新館裏の人影を見たとしても、その段階で、その人影の移動する方向を予測することはできないと思われるのに、なぜOが体育館裏へ逆方向から先廻りしたかについて、合理的説明はないこと、

等に鑑みると、Oの原審における供述は、そのままでは信用できないものといわなければならない。

二、Oの当審供述の信ぴよう性

ところが、Oは、当審証人として、重要な点で原審供述を変更した。その要旨は、

「校庭で運動中に、新館裏に人影を見たというのは嘘である。真実は、校庭でランニング中に、高校の北側にある俊成病院看護婦寮をのぞいて見たくなり、体育館裏へ廻り、ブロツク塀の陰から寮の方をのぞいていたところ、東方から人影が近づいて来た。原審で嘘を言つたのは、看護婦寮をのぞきに行つたというような恥かしいことは、原審法廷で供述できなかつたからである。」

というのである。

検察官は、当審における弁論において、Oの供述は、当審における変更を経たうえで、なお措信しうる旨主張するので、以下、当審における供述の一部変更を前提として、検討を加える。

(一)、所論は、原判決が、Oが目撃した時刻が深夜で、場所が体育館裏であり、光源に乏しく、観察の条件が甚だ劣悪であること、Oは被告人とそれほど親しい間柄ではなかつたことなどの諸事情を考慮すれば、Oが一瞬間すれ違つた他の人物を被告人と見誤つて直感する可能性は必ずしも小さくない旨判断したのは、失当であるという。

ところで、体育館裏におけるOと被告人との出会いに関するOの当審における供述の要旨は、

「私は、体育館北側の塀の陰で、看護婦寮の方を見ていると、人影が東方から近づいて来るのが気配と足音でわかつたので、向き直つて、人影の方を見ていると、人影は一瞬立止り、看護婦寮の方を見た。そのとき、その人物が被告人らしいと感じた(原審では、「はつきり被告人とわかつた」旨、検察庁では、「あつ、あの人だ。」とわかつた旨、それぞれ供述していた。)。その人影は、すぐ又歩き出し、普通の歩き方で、私の立つている前を、腕を伸ばせば届くくらいの距離を置いて通り過ぎたが、その時、その人影が被告人であるとはつきりわかつた。その男は、そのまま同じ歩調で西方へ進み、やがて学校西側のマンシヨンの建物の下方の暗闇の中に見えなくなつた。」というのである。

しかしながら、午前二時ころの時刻において、当時とほぼ同じ暗さと思われる状況の下で、当裁判所の行なつた検証の結果によれば、人影が一瞬立ち止り、看護婦寮の方を見たという地点(Oを立ち会わせた実況見分の結果に従つて、右地点を確定した。)に背広を着た男性を立たせて、Oのいた位置から観察するに、その人物の性別およびその者が背広を着用しているか否かは識別できるけれども、その者の人相や背広の色は識別することはできないことが認められる。してみれば、その時点で、「人影が被告人らしいとわかつた。」旨(当審)、「被告人とはつきりわかつた」旨(原審)、「あつ、あの人だとわかつた」旨(検察庁)のOの各供述は、いずれも措信し難いことになる。

次に、当裁判所の右検証の結果によれば、人影がOの直前を通過したという地点(同じく実況見分の結果により、右地点を確定した。)に、背広を着た男性を立たせ、Oの立つていた位置から観察するに、その人物の人相および背広のおおよその色を識別することができることは認められる。ところで、Oは、そのとき相手方の顔を注目しており、服装等にはそれほど注意を払わなかつた旨供述しながら、他方、そのときの相手方の着衣につき、上は、白つぽい(又は白あるいは黒の)縦縞の入つた、えび茶色(又はさんご色)のカーデイガン(又はセーター)のようなもの、下は、黒つぽい(又は紺系統)ズボンで、すその折り返しのない(又はある)もの、靴下は黒つぽいもの、履物はこげ茶(又は黒)のサンダルである旨供述する(その色彩等については、学校の調査、警察、検察庁、原審、当審における各供述で、種々の変遷が見られる。)のであるが、右供述は一貫していないのみならず、Oの視力が両眼とも良く、一・五であつたこと(当審における事実取調によつて認められる。)を斟酌してみても、果して、同人が、看護婦寮の光が届かない相手方の足もとのあたり、とくに靴下やサンダルの色、ズボンの裾の折り返しの有無まで識別し得たかという点については、疑問をさし挾まざるをえない。むしろ、Oは、原審において、「捜査官に対し、はじめ着衣の色はわからないと述べたが、どうしても思い出してくれといわれた。」とも供述しており、同人は、捜査段階で記憶の明白でない事項を誘導によつて明確に述べる結果となり、その供述を公判段階で固執しているようにも感じられ、同人の右着衣に関する証言は確実でないことを確実であるかのように誇張している傾向が見受けられる。

(二)、さらに、Oと被告人との親疎の程度についてみると、原審および当審証人O、原審証人川内敏行の各供述によれば、Oは、当時被告人と交際はなく、被告人の氏名もまだ知つておらず、僅かに本件火災の二、三個月前の夏休に、学校のプールで、二、三回出会い、その際ちよつと話を交したことがある程度で、その後は一週間に一回くらい顔をあわせたに過ぎないことが認められる。そうだとすれば、Oは、被告人の顔つき、体格等は知つていたものの、肉親、親友などというように、相手方の細い癖、特徴などを知り尽くしている場合に較べて、人物の同一性の識別力は格段に劣るものと考えざるをえず、しかも、前記のような暗さの悪条件の下で、話を交すどころか、声をかけて相手の反応を確めることもなかつた本件の場合、相手がはつきり被告人であるとわかつたというOの供述の信ぴよう性は、この面からも割引いて考えなければならない。

(三)、以上要するに、Oの供述には種々疑問をさし挾む余地があり、同人の証言は、せいぜい同時刻ころ体育館裏で被告人に似た若い男に出合つたという程度を出ないものと認めるのが相当である。このようなOの供述でも、もし、被告人の捜査官に対する自白が十分信用に値するものであるならば、自白の補強証拠として役に立たないこともないと思われるが、後に述べるとおり、被告人の自白が信用し得ない本件においては、Oの供述だけに基づいて被告人の有罪を認めることは、到底不可能である。

なお、原判決は、もともとOは、犯行に接着する時刻に学校内にいたことから、自分自身が本件放火犯人と疑われていると思つており、現に捜査当局において、同人に放火の嫌疑をかけたこともあつた旨認定しているところ、この点は証拠上肯認できるけれども、原判決が、このことから、Oが自己保身の必要上、さして自信の持てない人物の特定について、断定的な調子で捜査官に供述し、自己の嫌疑を他へ転嫁しようとしたものと推測される旨判示した部分は、必ずしもそのとおりであるとまでは断定できず、これに反対する所論(控訴趣意第二、二)にも聴くべき点があるように思われる。

しかし、原判決が、結局、Oの証言の信用度がさほど高くないとする結論においては、当裁判所の判断と異なるところはないのであつて、原判決は、この点において証拠の評価を誤つているとはいえない。

第二、被告人の自白の信ぴよう性について

所論(控訴趣意第三)は、原判決は、「本件において、被告人と犯行とを直接結びつける証拠は、被告人の犯行の自白を内容とする検察官に対する供述調書四通および昭和四八年一二月三〇日付実況見分調書中の被告人の指示説明部分であるが、右検察官調書作成の際の検察官の取調方法に格別非難される点はないけれども、被告人は、それよりも前に、警察官に対する詳細な自白をしているところ、警察官による本件放火事件についての被告人の取調は、いわゆる別件逮捕における違法捜査であるばかりでなく、その取調過程には、Kとの関係の公表にからむ不当な心理的圧迫が加えられた疑いが濃い。被告人の捜査官に対する供述経過をみると、度重なる否認や自白の変遷があり、単なる記憶の混乱や誤りとはいえない矛盾訂正が多々ある。自白の信ぴよう性を担保するに足る、いわゆる秘密の暴露といい得るものがない。放火の動機に関する供述が、重大事犯としては薄弱である。被告人は、放火後学校内を徘徊したといいながら、非常ベルを聞いた旨の供述がない。」などの理由で、自白の信ぴよう性に多大の疑問がある旨、また実況見分の際の被告人の指示説明部分も同様信用しえない旨判断したけれども、右判断は、自白の信ぴよう性に関する証拠の取捨選択ないしはその評価を誤つたことによるものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明からであるというのである。

一、被告人の供述の変遷

被告人の捜査期間中における放火事件に関する供述の経緯は、次のとおりである。

(一)、別件(窃盗)逮捕勾留期間中(いずれも昭和四八年)

月日

取調官

供述内容

証拠(原審の処置)

一一月一二日

矢野警部補

否認

一一月一三日

矢野警部補

否認

武藤警部

否認

一一月一四日

武藤警部

否認

メモ(証拠物)

一一月一五日

武藤警部

否認

メモ(証拠物)

一一月一六日

武藤警部

否認

メモ(証拠物)

一一月一七日

武藤警部

否認

メモ(証拠物)

一一月一八日

武藤警部

否認

一一月二〇日

武藤警部

自白

供述調書(却下)

一一月二一日

ポリグラフ検査

自白

鑑定書(同意)

武藤警部

自白

供述調書(却下)

一一月二二日

武藤警部

自白

供述調書(却下)

矢野警部補

自白

供述調書(却下)

一一月二三日

矢野警部補

自白

供述調書(却下)

(二)、本件(放火)逮捕勾留期間中(いずれも昭和四八年)

月日

取調官

供述内容

証拠(原審の処置)

一一月二四日

矢野警部補

自白

供述調書(却下)

一一月二五日

矢野警部補

否認後自白

供述調書(却下)

一一月二六日

小林検事

否認

供述調書(同意)

矢野警部補

自白

供述調書(却下)

一一月二七日

勾留質問

否認

勾留質問調書(同意)

一一月二八日

矢野警部補

自白

供述調書(却下)

一一月三〇日

小林検事

自白

供述調書(却下)

(一二月一日より同月一五日まで勾留執行停止、入院)

一二月一五日

矢野警部補

自白

供述調書(却下)

一二月一六日

矢野警部補

自白

供述調書(二通)(却下)

一二月一七日

矢野警部補

自白

供述調書(却下)

一二月一九日

矢野警部補

自白

供述調書(二通)(却下)

一二月二〇日

矢野警部補

自白

供述調書(四通)(却下)

一二月二一日

矢野警部補

自白

供述調書(四通)(却下)

実況見分

自白

実況見分調書(同意)

一二月二二日

矢野警部補

自白

供述調書(却下)

小林検事

自白

供述調書(採用)

一二月二四日

実況見分

自白

実況見分調書(同意)

一二月二五日

小林検事

自白

供述調書(採用)

一二月二六日

小林検事

自白

供述調書(二通)(採用)

すなわち、原裁判所は、被告人の自白調書のうち、昭和四八年一二月二二日以降作成の検察官に対する供述調書四通のみを採用し、その余の司法警察員に対する供述調書二四通、検察官に対する供述調書一通を却下したものであるが、右採用にかかる供述調書の信ぴよう性を判断するには、当該供述に先立つ全捜査過程を通じての被告人の供述の変遷および捜査の実態を考察せざるをえないものと認められ、この点は所論指摘のとおりである。そこで、右採用にかかる供述調書四通のほか、右却下にかかる供述調書二五通(原審において証拠物として取り調べられ、記録中に編綴されている。)、原審証人武藤忠平、同矢野貴、同小林久義、同内田利雄、同渡辺秀雄、同斉藤定一、同竹野豊、同竹内惟義、当審証人武藤忠平、同矢野貴、同西田伊佐夫の各供述、武藤警部作成のメモ(東京高裁昭和五〇年押第三六二号、符号七)その他の関係証拠を総合して検討することとする。

二、Kとの関連で自白の強制はあつたか

原判決は、被告人は、公判廷において、警察官から「放火を認めなければ、Kやその家族をしよつぴく。」「同人との関係を公表する。」などと脅かされて、やむなく虚偽の自白をした旨供述しているところ、取調警察官らは、被告人のいうとおりの表現であつたかどうかはともかくとして、少くともそのような趣旨に受け取れる言動をもつて、被告人に自白を迫つた疑いがある旨判示している。これに対し、所論(控訴趣意第三、四)は、そもそも、警察官がそのようなことをいつて、自白を強制することはありえないし、原判決は、取調警察官の証言の一部を曲解して、右のような判断に至つたものである、また、被告人の右のような弁解は、原審第七回公判廷において突如言い出されたものであつて、あいまいで、前後矛盾した点もあり、措信できないなどという。

そこで、慎重を期するために、被告人の原審および当審公判廷における各供述(被告人が原審で提出した上申書を含む。以下同じ。)をしばらく措いて、その余の証拠、ことに警察官らの供述を総合して検討すると、

(一)、被告人は、性倒錯者(いわゆるホモ)であつて、昭和四〇年ころ、新宿のゲイバーのボーイとして働いていたとき、Kと知りあい、以後同人と男色関係を結び、富士高校入学の際、同人に保証人になつてもらい、月々の生活費も受け取つていたこと、右Kは、芸名をK′といい、常盤津三味線の第一人者で、文部大臣より重要無形文化財の保持者(いわゆる人間国宝)に認定されていたこと、

(二)、被告人は、関西地方で別居している実父母よりも、むしろ右Kと精神的にも、経済的にもはるかに深く結びついており、本件火災前日の夜も、当時名古屋市御園座で公演のため、前月末以来同市のホテルに滞在し、しばらく会つていないKに対し、その懐しい声を聞くためと、東京で何時会えるかを尋ねるため、長距離電話をかけようと試みたこと、

(三)、被告人は、昭和四一年、警視庁警察機動隊員宿舎に窃盗のため忍び込んで、牛込警察署に逮捕されたが、その際、同署より右Kに電話をかけたところ、Kの妻が出て、「そんな子は知らない。」と答えたものの、このためKは被告人のことを妻に知られ、被告人はあとで厳しく叱られたこと、

(四)、捜査当局は、昭和四八年一一月一二日、被告人を別件(四谷警察署四谷見附派出所における警察官の制服・制帽等の窃盗事件)で逮捕したが、そのころ既に当局は、被告人の高校における保証人として、Kの存在、その住所等を突きとめ、同人が人間国宝であることを知つていたほか、同人と被告人との男色関係をもほぼ察知し、いずれ遅かれ早かれ同人を参考人として取り調べなければならないと考えていたこと、

(五)、警視庁本庁から本件捜査のため中野警察署へ派遣されていた警部補矢野貴は、右別件による逮捕の当日、はじめて被告人を取り調べたが、その際、Kとの関係を言い渋る被告人に対し、「君とKさんとは、どういう関係か。君がいわなければ、Kさんを呼んで聞いてみる。」旨告げて、Kの取調を示唆したところ、被告人は、「Kさんを呼ばないでほしい。」旨頼んだこと、

(六)、被告人は、翌一一月一三日、Kとの関係をかなり詳細に供述したのであるが、当局は、それでKの取調をやめることなく、同日、中野警察署西田巡査部長らがKの自宅を訪れ、同人を参考人として取り調べようとしたところ、同人が妻のいる自宅での取調を嫌つたので、日を改めて、同月一五日、同人に中野署へ出頭を求め、参考人として取り調べたうえ、供述調書を作成したこと、

(七)、捜査当局は、右のようにKを参考人として取り調べたのに、このことを被告人に隠していたこと、

(八)、矢野警部補と同じく警視庁捜査一課から派遣され、一一月一三日以降連日被告人を放火事件で取り調べていた警部武藤忠平は、同月一七日ころ、否認を続ける被告人に対し、「私の方としては、学校の先生からも、友人からも、いろいろ聞かなきやならない。」旨告げて供述を迫り、これに対し、Kが取り調べられることを懸念した被告人が、「Kさんからも聞くんですか。」と問うや、同警部は、「捜査としては、親でも兄弟でも調べなきやならぬ。」と答えて、Kを取り調べることもありうる旨示唆したこと、

(九)、武藤警部の追及によつて、被告人は別件で逮捕されてから九日目の一一月二〇日、ついに放火を自白するに至つたが、その後でも、調室から同警部が席を外したときには、取調立会の中野警察署渡辺秀雄巡査に対しては、「私は、本当はやつていないんですけどね。」と打ちあけ、その自白供述は出まかせを言つているように感じられたこと、

(一〇)、被告人は、窃盗事件の取調を担当していた中野警察署内田利雄警部補に対しても、窃盗事件はすべて自白しながら、「放火はやつていません。」と述べていたこと、

(一一)、被告人は、一一月二一日ポリグラフ検査を受けたとき、警視庁科学検査所心理係主事竹野豊に対し、「私は、放火犯人にならなければならない事情があるんです。もう、どうでもいいんです。」といい、その態度は、人生はどうでもいいんだというようなものに見受けられたこと、

(一二)、被告人は、前記内田警部補に対しては、窃盗事件の取調の始めのころから痔の痛みを訴え、同警部補は、妻に蒲団を作らせて、被告人に敷かせ、「痛かつたら横になつてもよい。」といつて取り調べるような状況であつたのに、被告人は、放火事件の取調を担当する武藤警部に対しては、痛みが激しくなり、排便の止つた一一月二〇日前後ころになつて、ようやく痔の痛みを訴えたこと、

以上の各事実を認めることができる。これらの事実を総合すれば、被告人は、Kが参考人として取り調べられることにより、人間国宝としての同人が、窃盗、放火被疑者の高校生と男色関係にあることが、Kの妻や報道機関に知られ、そのためKの家庭の平和や、その社会的地位、名誉等が傷つけられることを深く憂慮しており、もし、放火を自白することによつてKの取調が避けられるならば、すでに一二件の窃盗事件を自白している身として、さほどの大火にも至らなかつた本件放火の責を引きかぶつても、Kの家庭、地位、名誉等には代えられないとして、放火犯人になることを決意したものの、取調担当の武藤警部、矢野警部補以外の者には、折にふれて自己の無実を訴えていたことをうかがい知ることができる。

所論(控訴趣意書一一〇頁)は、被告人は、一一月二六日、はじめて検察官の取調を受けた際、自白を撤回して犯行を否認したが、小林検事から警察で自白した理由を聞かれて、「警察で認めたのは、火事の前に学校で私を見た人がいるというので、想像で供述した」旨述べながら、Kの関係を利用して脅かされたと述べていないのは、Kの関係で脅迫された事実がないことを示すものであるという。しかし、後記三、(一)、(二)、(三)のとおり、被告人は武藤警部から「学校で君を見た者がいる。」といつて強く自白を求められたのは事実であつて、それも自白に至る重要な一因であると認められるから、警察で自白した理由として、Kの関係で脅迫されたことを述べなかつたからといつて、必ずしも不自然ではない。

してみると、当審証人武藤、矢野両名が供述するように、右両警察官がKの取調を被告人に示唆したのが、一一月一二日と同月一七日ころの二回だけであつたとしても、また、両警察官が、被告人の弁解するように、「Kやその家族をしよつぴく。」とか、「Kとの関係を公表する。」などといわなかつたとしても、少くとも、両警察官が、被告人の供述の仕方次第では、Kを取り調べることもある旨を示唆して、放火事件の自白を強制した疑いを拭い去ることはできない。したがつて、これと同趣旨に出た原判決が、証拠の評価を誤つているとはいえない。

なお、所論は、被告人は、原審第七回公判廷で、突如右のような弁解を始めたという。しかし、記録によれば、右第七回公判までは被告人質問の機会がなかつたことが明らかであつて、この点はやむをえないところである。また、所論は、被告人の弁解はあいまいであり、前後相矛盾した点も見られるという。しかし、被告人の弁解は、架空のものといえるほど、抽象的で、あいまいであるとはいえず、前後若干相矛盾したり、変化したりする点が散見されるとしても、被告人の弁解の信用性を根底から覆すような致命的な嘘は、ついに発見することはできない。そして、被告人の弁解に若干の誇張や歪曲があるとしても、刑事訴追されている身として無罪を主張するためには、ある程度やむをえないとも考えられる。

三、被告人が、想像で供述したり、「ポリグラフ検査の質問事項の中に正しい答が一つある。」といわれて供述したことがあるか

原判決は、被告人が武藤警部に対し一種の仮定法ないし想像で供述したこと、同警部から「ポリグラフ検査の質問事項の中に正しい答が一つある。」といわれて供述したことをうかがわせる証拠があるとして、これをもつて被告人の自白が信用できない理由の一に挙げている。これに対し、所論(控訴趣意第三、五、3、(三))は、取調官が「放火したか否かは別として、当夜富士高校であなたを見たという人がいるが、どうか。また、見られたとすれば、どこで見られた可能性があるか。」と問うことは、なんら不当ではない、他方、捜査官が、虚実をとりまぜて作成したポリグラフ検査の質問事項の中の、「いずれでもよいから、その一つを選んで火をつけたといえ。」などというはずがない、原判決は、武藤証言の一部を曲解し、被告人の弁解を鵜呑みにしたものであるという。

ここでも、慎重を期するために被告人の公判廷における弁解をしばらく措き、原審証人竹野豊、原審および当審証人武藤忠平、同警部作成のメモなど、捜査官側の証拠を総合して検討すると、

(一)、武藤警部は、前記第一のとおり、さほど信用度の高くないOの供述を根拠として、被告人に対し連日「火災当夜学校内で君を見た者がいる。」と追及し、被告人は、火災当夜酒に酔つて下宿で寝ていた旨弁解して来たのであるが、一一月一五日の取調に際し、同警部は、被告人に対し、「学校内で人に見られたとすれば、その人は誰だと思うか。」「放火したか、しないかは別として、人に見られた場所は、校舎内の外と内とに分けて、どちらだと思うか。」と質問し、被告人に想像で「外だと思う。」と答えさせたこと、同警部は、同日なんらの根拠もないのに「学校東側の中野通の野次馬の中にも、君を見た者が一人いる。」と嘘をいつたこと、

(二)、翌一一月一六日の取調の際、被告人は、武藤警部に対し、「学校で人に顔を見られたことを前提として考える」旨答え、この日ころから、放火は認めないものの、当夜学校へ行つたことを認め始めたこと、

(三)、武藤警部は、本件火災当夜酒に酔つて下宿で寝ていたという被告人に対し、連日、「当夜学校内で君を見た者がいる。」と強くいい、記憶はないが、あるいは夢遊病者のようになつて学校へ行つたかも知れず、自己の精神状態が異常ではないかとの疑問を被告人に抱かせたこと、そのため被告人は、自分が脳梅毒にかかつているのかと思い、梅毒の検査を強く希望し、一一月二二日、小原病院へ痔の治療に行つた際、ついでに梅毒の検査もしてもらつたが、結果は陰性で、異常はなかつたこと、

(四)、被告人をポリグラフ検査にかけることを決定した一一月一七日には、被告人は、まだ否認していたが、同月二〇日にいたり自白したところ、翌二一日、警視庁本庁におけるポリグラフ検査の際、このことを知つた検査技師竹野主事は、「被疑者が自白した以上、検査には適しない。」(自白している被疑者に対するポリグラフ検査は、技術的に困難で、判定できない可能性が強い。)と告げたのに、武藤警部は、「自供と事件との間に若干喰い違いがあるので、その点を聞いてほしい。」といつて検査をしてもらい(検査の結果、竹野主事の予想どおり、明白な判定はできなかつた。)、その検査直後、同警部は、その日に限つて警視庁本庁内で被告人を取り調べ、その際、「さつきのポリグラフ検査の質問事項の中に、犯人であれば知つている事項が一つある。」「正しい答が一つある。」旨告げて、放火の手段、方法について自白を求めたこと(被告人の当日の自白のうち、放火の媒介物としてトイレツトペーパーを用いたという点は、検査よりも前に同警部が被告人に教えたものであること、ガソリンを用いたと自白した点は、本件火災((実際はガソリンは用いられていない。))の翌日の新聞記事を見た友人浜崎健一から、被告人が教えられていて、この日その旨を供述したものであつて、あとで同警部に訂正させられたことが、うかがわれる。)、

以上の各事実が認められる。およそ、被疑者の取調に当つて、「現場であなたを見た者がいる。見られたとすれば、何処で見られたと思うか。」と質問することは、一般論としては許されないことではないけれども、さほど信ぴよう性のない目撃者の供述や、捜査官が頭の中で作つた嘘に基づいて、強く供述を求め、現場に行つた記憶がないという被疑者に、自分が現実にその場へ行つたのに、脳梅毒のため記憶を喪失したのではないかと思わせるほど強く追及することは、もはや取調方法として許される誘導や駈引の限度を越え、違法のそしりを免れないものといわなければならない。また、ポリグラフ検査は、被疑者の供述の真疑を確かめるために行なわれるものであるが、本件の場合、被告人はすでに犯行を自白しており、放火の手段、媒介物は火災直後の実況見分により捜査当局におおむね明らかであつて、被告人の供述の真偽を吟味するためには、検査は必要ではなかつた。それにもかかわらず、武藤警部が検査を依頼し、検査直後に被告人の取調を行なつていることを考えると、本件検査は、放火の手段、方法につき被告人を誘導して自白させるためのものであつたと解せられなくもない。

いずれにせよ、武藤警部の右のような甚だしい誘導を経てなされた被告人の自白には信ぴよう性が乏しく、これと同趣旨に出た原判決の判断には誤りはない。

四、被告人が自白と否認を反覆したことについて

原判決は、被告人が、一一月一九日まで否認、同月二〇日から二四日まで自白、同月二五日否認後自白、同月二六日検察官面前で否認、同日司法警察員面前で自白、同月二七日勾留質問で否認という複雑な経過をたどつて、同月二八日以降一貫して自白するようになつたものであるが、いつたん悔悟反省して自白した後において、全面的な自白、否認をくり返すことは、極めて異例なことであるとして、被告人の自白が信用できない理由の一に挙げている。これに対し、所論(控訴趣意第三、五、1、2)は、原判決は、自白の動機は、単に一義的に真に自己の非を悔悟し、その反省の上に立つた不動のものであるとの誤解を前提とするものとしか思えない、本件三回の否認は、被告人が完全な自白を逡巡した心理的動揺の中における、いわゆる「半割れ」の状態下のもので、しかも、捜査官が従前の取調の態度を変えたり、それまでの取調官と異る検察官や裁判官の面前におけるものであることを考慮する必要がある、とくに、一一月二五日、矢野警部補の面前で、はじめ否認し、あとで自白したのは、同警部補が、被告人の反応ないし態度を打診し、それまでの自白内容等を確かめるため、いわゆる「ゆさぶり」をかけたものである、そして、被告人は、一一月二八日以降は、罪を免れようとする心理的動揺も治り、自白を維持したとみるのが相当であるという。

ここでも、慎重を期するため、被告人の公判廷における弁解をしばらく措き、捜査官側の証拠、ことに原審および当審証人矢野貴の供述を中心として検討すると、

(一)、被告人が一旦自白したのち否認したのは、所論の指摘する三回だけでなく、前記二、(九)、(一〇)、(一一)のとおり、被告人は、中野署渡辺巡査およびポリグラフ検査技師竹野主事等に対し、「放火はしていないんですけどね。」「私は放火犯人にならなければならない事情があるんです。」などと打ち明けていること、

(二)、被告人は、一一月二四日、放火事件の逮捕状により逮捕され、放火の容疑は固まつたが、矢野警部補は、翌二五日、被告人にゆさぶりをかけようと考え、ひたすら自白を求めて来た従前の取調態度を一擲して、被告人を否認するように仕向け、予想どおり一旦否認させたあと、突如再び態度を豹変させて、被告人に対し、「本当のことを言わないと、本当に困るんだ。だけども、よく考えなさい。君という人は、お酒を飲むとおかしくなるじやないか。今まで泥棒もだいぶんやつているじやないか。みんなお酒を飲んでやつているじやないか。自分から嘘つきだといつているじやないか。」などと約一時間にわたつて誘導し、被告人に「やつぱり私の思い違いでした。」と自白させたこと(本件ゆさぶりは、時期的に見て、被告人が翌日の検察官の弁解録取および翌々日の勾留質問の際否認することを見越して、その対策として行なつたものと考えられなくもない。)、

(三)、被告人は、翌一一月二六日、身柄付きで検察官に送致され、小林検事の取調を受け、その際自白を翻したところ、矢野警部補は、このことを押送担当の中野署員から聞き知るや、帰署した被告人を同日直ちに取り調べ、被告人に対し、「なんか、君は検察庁へ行つて否認している。本当に君はやつたのか、どうか。やつたら、やつた、やらないなら、やらないといいなさい。やつたというから調書をとつたんだ。今度、場所が違つたら、やらないというのは、一寸おかしいじやないか。」と強い口調で申し向け、被告人に「私は、本日検事さんに取り調べられ、事件を否認したということですが、それは私の言い方が悪いので、別に否認したりしません。ただ、酒を飲んでいたので、思い出せないことがあるので、今後思い出して話しますといおうと思つていたのです。ですから、放火していないとは言いません。」と苦しい弁解をさせたうえで自白させ、後日この供述調書を小林検事に送りつけ、同検事から「余計なことをするな。」と叱られたこと、

(四)、翌一一月二七日、被告人は勾留質問の際否認したが、矢野警部補は、翌々二八日、被告人に「私は放火したことについて否認したりしません。思い出せないことがあつたからです。」と弁解させたうえ、自白させたこと、

以上の事実が認められる。してみれば、被告人の小林検事および勾留係裁判官に対する否認は、被告人の真情の発露であると思われるが、矢野警部補の面前における供述は、同警部補の工作によるものであることが明らかであつて、右の否認と自白のくり返しは、所論のいう半割れ状態の下における心理的動揺の自然なあらわれであるとは考えられない。そして、被告人は、矢野警部補によつて三度にわたつて否認から自白へ引き戻され、もはや否認をしても仕方がない、自白を続けるよりほかないと思い込むに至つたものと推認される。このような事情は、被告人の自白に信ぴよう性の認められない理由の一と考えてよく、これと同趣旨に出た原判決の判断が誤つているとはいえない。

五、被告人の供述の変遷と矛盾

原判決は、放火の手段方法に関する被告人の捜査官に対する供述の変遷の状況を種々挙げたうえ、このような重要な事項に関して、供述が矛盾したり、くり返し訂正が行なわれているのは、重大な問題であつて、被告人の自白の証拠価値が大きく減殺される旨判示している。これに対し、所論(控訴趣意第三、五、3、(一)、(二))は、原判決は、単に被告人の供述の中から、矛盾や変化している部分のみを拾いあげ、これを形式的に観察評価した、当を得ないものである、これら供述の変化は、単に記憶の混乱や薄れなどに由来する供述の訂正、補充の域を出ないものに過ぎず、しかも、これら供述の変化は、被告人がまだ半割れ状態にあつた一一月二八日以前に集中しているという。

(一)、しかし、原判決の挙げる二階化学準備室前廊下の放火の媒介物について、被告人は、一一月二〇日、武藤警部には「紙など」と、同月二一日には「ぼろとわら半紙」(これはポリグラフ検査直後の供述)とそれぞれ供述したが、同月二三日、矢野警部補に対し、「参考書二、三冊と紙くず」と供述を変えたのは、単なる記憶の混乱に由来するものであるとは考えられない。

(二)、一階一年B組教室の放火の媒介物につき、被告人は、一一月二一日武藤警部に対し、「机、椅子などに紙類、モツプなどを使つて、火をつけた」旨供述したが、同月二三日、矢野警部補に対し、「竹ぼうき二本を廊下のロツカーから持ち出して、教室内の机か椅子のところに置いて、紙屑に点火した」旨供述し、さらに、同月二八日には、「掃除用具入れから、竹柄のしゆろほうき二、三本を持ち出し、椅子の上にほうきを置き、紙屑をほうきの傍に置いて点火した」旨供述した。右一一月二八日に「しゆろほうき」とあるのは、この日に限つて、矢野警部補が「竹ぼうき」を「竹柄のしゆろほうき」と勘違いをしたためである。ところが、捜査当局は、被告人の入院手術中、補充捜査を続け、一年B組担任の高橋教諭を取り調べ、同教諭から、竹ほうきは、放火犯人が廊下の掃除道具入れから持ち出したものではなく、もとから一年B組教室内にあつたものであることを聞かされるや、被告人の退院後の一二月一六日には「柄を上にして、椅子に立てかけてあつた竹ほうき二本の下の方へ、紙屑を置いて放火した」旨供述を変えさせた。これら供述の変化は、取調官の認識の変化(又は勘違い)によるものであるといわざるをえない。

(三)、一年A組教室前廊下の放火の媒介物につき、トイレツトペーパーを用いたという点は、被告人の供述が一貫しているが、その個数につき、被告人は、一一月二一日ないし二六日には、「五個位」と供述していたところ、一二月一六日には「三個」と、同月二六日には「三個位」とそれぞれ変り、これを運んだ方法について、一一月二三日には「両手に持ち」、同月二六日には「両腕にかかえるようにして持ち」とあつたのに、一二月一六日には、「右手の拇指、人差指、くすり指をトイレツトペーパーの穴の中にさし込んで、つりあげて持ち」と変化した。右の変化は、捜査当局が、被告人の入院中、従前の証拠を検討した結果、トイレツトペーパーの個数が五個では多過ぎて、他の証拠と符合しないと考えて、退院後その個数を三個に減少させ、個数の減少に応じて、その持ち方も変えざるをえなくなつたためと推認される。

(四)、所論は、原判決の指摘する供述の訂正部分は、被告人がまだ半割れの状態にあつた一一月二〇日から同月二七日までの分がほとんどであるという。しかし、右のとおり心理的動揺が治まつたはずの一二月になつても、なお重要な供述の変化が見られるほか、さらに一例を挙げると、化学準備室前の放火場所につき、一二月一六日には「掃除用具入れの左側(内側)の引戸を右手で右方へ開けた」旨供述したところ、同月二一日には、右掃除用具入れは扉式であつた旨訂正した。右訂正の理由は、矢野警部補が、右掃除用具入れを一階一年A組前廊下の掃除用具入れと混同して、二枚引き戸のものと勘違いしていたところ、一二月二一日、実況見分の準備のため、部下に二枚引き戸の箱を用意するよう指示した際、金沢巡査部長から右勘違いを指摘され、さつそく同日、被告人に右の点を訂正させ、しかも調書の上では、二つの掃除道具入れの形式を混同したのは被告人であるように記載したものであると認められる。

(五)、なお、弁護人が指摘するように(答弁書第二、四、(九))、一年B組教室内の放火につき、被告人は、一一月二一日、武藤警部に対し、椅子や机の上にトレーニングシヤツを持つて来た旨供述したが、それよりも前に、生徒山田邦彦の取調により、同人が椅子の上に置いておいたのはテニスバツグであり、トレーニングシヤツは右バツグの中に入つていて、バツグの中を開けてみない限り右シヤツは見えないことは明らかで、犯人はトレーニングシヤツを見たはずはないと思われるのに、武藤警部は、火災直後の実況見分の際、焼跡にトレーニングシヤツがあるのを見て、早合点し、犯人がトレーニングシヤツを持ち込んだものと思い込み、被告人にその旨の供述をさせたものであるが、矢野警部補は、この点に気付き、同月二八日、「椅子の上に何かあつたように思うが、今思い出せない」旨供述をぼかしたものと思われる。

(六)、そのほか、放火の手段方法ではないが、原判決が指摘するように、被告人は、一一月二一日、武藤警部に対し、「火をつけたあと、体育館の裏あたりで人に見られたかも知れない」旨供述したが、右供述は、武藤警部がOの供述を誤解し、同人が被告人を見たのは放火後である(刑事仲間の言葉でいわゆる「後足」)と勘違いしたためであると考えられる。矢野警部補は、Oの供述を正しく理解していた(いわゆる「前足」)ため、同警部補作成の供述調書では、「放火の前に体育館裏へ行つたかも知れない。」となつている。もつとも、武藤警部は、当審証人として、Oの供述を誤解していたのではない旨種々陳弁するが、その供述は支離滅裂であつて、措信できない。この点に関する所論(控訴趣意書一五五頁)は採用できない。

右のほかにも、被告人の供述調書には供述の矛盾や変遷が枚挙に暇がないほど数多く存在し、それら矛盾変遷は、被告人の記憶の変化ではなく、取調官の認識の変化、時には誤解に基づくものと推認される。従つて、この点からみても、被告人の捜査官に対する自白は信ぴよう性に欠けるものと認められ、これと同趣旨に出た原判決の判断は相当である。

六、被告人の自白にいわゆる「秘密の暴露」はあるか

原判決は、被告人の供述中に、当時未だ捜査官の探知していなかつた事実で、その後の捜査によつて、それが客観的真実であることが確認されたもの(原判決は、これを「秘密の暴露」と呼んでいるので、ここでも仮にこの語を用いる。)がある場合には、捜査官の誘導等、不当な取調がなかつたことを推認させる事情として、自白の信ぴよう性を客観的に担保するものであるが、本件で曲りなりにも秘密の暴露ではないかと疑わせる点は、二階化学準備室前廊下の放火の媒介物と、侵入口たる窓の施錠の有無しかなく、しかも、右二点とも、結局秘密の暴露に当らない旨判示している。これに対し、所論(控訴趣意第三、七)は、右二点とも秘密の暴露に当ると主張するので検討する。

(一)、所論は、化学準備室前廊下の放火の媒介物たる参考書等につき、被告人は、一一月二三日、司法警察員に対し、「自分の教室(定時制一年A組、全日制一年G組)の最後列またはうしろから二列目の、中央よりやや右側の机から参考書を持ち出した。」旨供述したが、その後に行なわれた生徒河野雅彦の取調により、同生徒が、同教室内で、一〇月二三日から同月二九日までの間に、アンチヨコ(参考書)一冊を紛失したことが判明し、その紛失場所が被告人の自白と一致するという。しかし、右河野の司法警察員に対する供述調書によれば、同人の席は、試験期間中は最前列から二列目の中央やや右側であり、通常の期間中は最後列の左から二列目であつて、アンチヨコが紛失したのは、そのどちらの席であるか明確でない。そして、試験期間中である本件火災当日においては、弁護人の指摘するとおり、いずれかといえば、生徒は参考書を試験期間中の自席へ置く場合が多いように思われ、そうであるとすれば、河野の席と被告人の自白した席とは一致しないことになる。これと同趣旨に出た原判決の判断が誤りであるとはいえない。

所論は、生徒が使用している教室内の机には、参考書のみならず、雑誌その他外形がこれと類似したものが多数あつた可能性が大であるともいうが、そのようにありふれたものであるならば、これを持ち出した場所が一致したとしても、必ずしも秘密の暴露に当らないことになる。所論は、また、被告人が持ち出したという教室内で、出火当時作文集三冊が紛失した事実があるというが、たとえそれが事実であるとしても、被告人は作文集を持ち出したとは自白していないから、秘密の暴露に当らないことはいうまでもない。

所論は、原判決は、焼跡から参考書の燃え残りが発見されていないことからみて、参考書二、三冊を持ち出したという被告人の自白が信用できない旨判示しているけれども、現場の燃焼状況に照らして、参考書は完全に焼失したと見るべきであるという。しかし、参考書の燃え残りが何もない以上、参考書を持ち出したという自白が、秘密の暴露に当らないことは明らかである。

(二)、所論は、被告人の校舎への侵入口である一年A組教室前廊下北側の窓は、原審第二回公判において証人金沢安憲に示した写真によつて、施錠のなかつたことが明らかであつて、被告人が実況見分の際に指示した窓が出火当時施錠してなかつたことと一致するという。しかし、右写真をし細に検討してみても、被告人が実況見分の際侵入口であると指示した窓のクレセント錠が、出火当時施錠してなかつたことを証明するに足るものとは断じ難く、この点において原判決の判断が誤つているとはいえない。

所論は、被告人が侵入した窓を具体的に特定したのは、一二月二一日の実況見分の際であるが、被告人が真実侵入した窓は、被告人が実況見分の際指示した窓ではなく、その右側の窓であつたかも知れず、右隣の窓は施錠がなかつたのであるから、そうであるとすれば、これは秘密の暴露に当るという。しかし、被告人は、右実況見分に先立ち、すでに一二月一五日の矢野警部補の取調の際、校舎の「一番西の出入口から算えて、二つ目の窓の、向つて右の戸を」開けた旨明確に供述しているのであつて、所論は、その前提において誤つているばかりでなく、原裁判所の検証調書によれば、所論のいう右隣の窓は錆びついていて開かないことが認められ、所論は客観的事実に反する主張である。

所論は、被告人が校舎へ侵入した窓は、武藤警部が誘導できるはずがないともいう。しかし、原審証人武藤忠平の供述によれば、同警部は、火災直後の実況見分の際、のちに被告人が侵入口であると指示した窓の錠がかかつていないことを現認していることが認められ、同警部が侵入口につき被告人を誘導する余地は大いにあつたものである。

してみれば、所論が秘密の暴露に当るとして指摘する事項は、いずれも秘密の暴露に当らないことが明らかである。

(三)、所論(控訴趣意第三、九、1)は、さらに、被告人の供述中に捜査官の誘導の余地のない事項として、被告人は、昭和四八年一二月一六日およびそれ以降において、「放火後、火災発生を知つて、正門から校外へ逃げ出し、中野通に出て左折し、約三、四〇メートル先の公衆電話ボツクスのところまで行つたとき、その前に消防自動車が止まり、消防士がなにかしているのを見た。」旨供述しているのであるが、捜査官は、当時このことを知らず、同四九年二月一九日付火災報告書によつて初めてこれを知つたものであるから、右供述は捜査官の誘導によるものでないという。

しかし、当審で取り調べた同四八年一二月一六日付捜査報告書によれば、捜査当局は、すでに同月八日の時点で、消防自動車が右の地点に停車していたことを知つたことが認められるのであつて、所論指摘の同月一六日の被告人の供述は矢野警部補の誘導によつたものと推認され、所論は採用できない。

七、「秘密の暴露」に準ずる事実の有無

所論(控訴趣意第三、九、2)は、被告人の自白中には、秘密の暴露とまではいえないとしても、捜査官の不当な誘導がなかつたことを推認させるに足る真実性のある供述が存在するとして、種々主張する。

(一)、所論(控訴趣意第三、九、2、(一))は、被告人は、一二月一六日、司法警察員に対し、および同月二六日、検察官に対し、一年A組教室前廊下の放火の媒介物であるトイレツトペーパーを新館一階西側便所へ取りに行つた際、その便所の男女の区分が、被告人の常に用いている二階東側の便所と逆になつているのに気付き、「あれつ。」と思つた旨供述しているところ、捜査官は学校の便所の男女の区分の違いを知つているはずもなく、この点について誘導の余地がないという。

しかし、矢野貴の原審および当審公判廷における各供述によれば、同警部補は、本件火災直後の実況見分の際、新館一階西側便所を使用して、右便所の男女の区分を知つていたことが認められ、他方、被告人は、自分が常に使用する二階東側便所の男女の区分を当然知つていたはずであるから、たとえ警察官が二階東側便所の男女の区分を知らなかつたとしても、誘導によつて所論指摘のような供述をさせることは、十分可能であつたと認められる。

(二)、所論(控訴趣意第三、九、2、(二))は、被告人は、一一月二八日および一二月一六日、司法警察員に対し、「一年B組教室内に放火するため、同教室内に入つたとき、同教室後部中庭側の窓のカーテンが開いていて、中庭が見えた。」旨の供述をしているところ、出火の前に右カーテンが開いていたことは捜査官は知ることができないものであるから、右供述は、捜査官が誘導する可能性がほとんどないものであるという。

しかし、矢野貴の当審公判廷での供述によれば、同警部補は、火災直後の実況見分の際、一年B組教室南側後部でカーテンが燃えた形跡がないことを確認していることが認められるから、右のような誘導をする可能性がなかつたとはいえない。なお、当裁判所の検証の結果によると、同教室の南側の窓のカーテンがたとえ開いていたとしても、地形上中庭を見ることはできないことが認められ、所論指摘の「中庭が見えた。」という供述は、矢野警部補の誤導によるものと考えられる。

(三)、所論(控訴趣意第三、九、2、(三))は、犯人による三個所の放火の順序について、二階化学準備室前廊下の放火が、その場の焼燬の状況から見て、最初であつたことは実況見分の結果により認められるものの、一階の放火の順序については、一年A組教室前廊下と一年B組教室内のいずれが先であつたかは、焼燬の状況からだけでは明らかでなく、むしろ犯人が二階での放火後一階へ降りて来たものとすれば、階段に近い一年B組教室にまず放火すると考えるのが自然であるのに、これと逆に、まず一年A組教室前に放火したという被告人の自白は、被告人が放火した心情が極めて自然に吐露されており、信ぴよう性が極めて高いという。

しかし、原審証人武藤忠平の供述によれば、同警部は、火災直後の実況見分の結果から判断して、放火の順序は、二階化学準備室前の次が一階一年A組教室前であり、最後が一年B組教室内であると考えていたことが認められ、所論指摘の被告人の供述は、同警部の誘導によることも十分可能であつたと認められる。

八、被告人の自白とOの供述の矛盾について

原判決は、被告人の自白には、Oに目撃されたという体育館裏へ被告人が行つたという断定的な供述がなく、とくに、Oの供述のように、マンシヨンの方へ行つたとの点については全く供述がないこともまた、被告人の自白内容の不合理な点であると判示している。これに対し、所論(控訴趣意第三、八、3)は、被告人は、酔余寂しさをまぎらすため、これといつた目的もなく校庭をうろつき廻つていたのであり、体育館裏へ行つたのはその一部であつて、これといつた記憶に残るような事象もなかつたのであるから、その記憶が鮮明でないからといつて、疑問を抱く筋合はない、また、被告人の自白中に、「マンシヨンの方へ行つた。」というOの供述に符合する供述がなく、被告人が「体育館裏からどちらへ行つたか記憶がない。」といつているのは、警察官が、誘導や押しつけをしなかつたことを示すものであるという。

しかし、捜査当局は、被告人が自白するまでは、Oの供述を根拠として、「学校内で君を見た者がいる。」旨申し向けて取り調べたのであつて、Oの供述に符合するや否やは、重要な事項である。しかるに、被告人の捜査官、とくに矢野警部補に対する供述は、一方で、酒に酔つていて、当夜の行動をよく覚えていないといいながら、他方で、犯行およびその前後の行動について余りにも詳細な供述をしている点が目立つのであるが、そのうち、放火の前後に校内を歩き廻つた点だけがあいまいとなつているのが顕著である。ところで、時間的に見ると、Oが体育館裏で被告人と出合つたものとすれば、その時刻は放火の約一時間前と推定されるが、Oの供述によると、被告人は、出火場所と正反対の方向、すなわち学校西側のマンシヨンの方向へまつすぐに歩いて行き、マンシヨンの下の暗い陰の部分でその姿が見えなくなり、Oはその後しばらくその方向を見つめていたのに、被告人の姿はついに現われなかつたというのである。そのとおりであるとすると、右の被告人の行動とその後の放火とは結び付きにくい嫌いがある。そこで、取調官としては、被告人が体育館裏へ行つたかも知れないという供述だけで満足し、それ以上詳細な供述を求めなかつたのではないかと疑う余地が存在する。してみれば、この点もまた被告人の自白の信用できない理由の一に挙げてよく、この点に関する原判決の判断が誤つているとはいえない。

九、被告人の自白中に「非常ベルの音を聞いた」という記述がないこと

原判決は、被告人は放火後しばらく校内に留まつたと自白しながら、非常ベルの音を聞いた旨の供述はないが、非常ベルの音の大きさからみて、そのような衝撃的、印象的な事象を簡単に忘れ去るはずもないのに、これが自白から欠落しているのは、被告人が真実体験しない事項を供述しているからではないかと思われる旨判示している。これに対し、所論(控訴趣意第三、八、5)は、右判示は、非常ベルの音質、音量、被告人の徘徊場所、被告人の酩酊、放火後の不安・興奮状態を十分に顧慮しなかつたものであつて、是認し難いという。

しかし、本件出火時刻に程近い午前二時過ぎころの時点において、当裁判所の行なつた検証の結果によれば、校舎(非常ベルの設置場所)に近い校庭においては、非常ベルの音は、聞く者に対し、なんらかの異常事態の発生を告げるものと受け取られるくらい、けたたましく感ぜられること、右の音は、校舎から最も遠い校庭西部(西側のマンシヨンに近い地点)においてさえ、明瞭に聞き取ることができることが認められる。してみれば、消防自動車が校庭へ入つて来てから学校の外へ出たという被告人の自白が真実であるとすれば、その前に非常ベルの音を聞いたという供述がないのは、やはり被告人の自白に信ぴよう性がない理由の一と考えるよりほかはない。この点に関する原判決の判断が誤つているとはいえない。

一〇、動機に関する自白は合理的か

原判決は、被告人の自白にあらわれた放火の動機は、放火という重大な犯行を行なう動機としては、いささか薄弱で、被告人が真犯人であると断ずるための証拠としては、検察官のいうほど大なる証拠価値を有するものではない旨判示している。これに対し、所論(控訴趣意第三、六)は、被告人の検察官に対する供述にあらわれた犯行の動機に関する自白は、詳細かつ具体的で、不自然な点がなく、十分信ぴよう性があるものであり、原判決は、被告人の性格、当時の心理状態等を理解しない皮相な考察をしたものであるという。

なるほど、放火の動機に関する被告人の検察官に対する自白は、詳細かつ具体的で、一見信用に値するものとみられなくもない。しかし、原判決のいうように、動機は内心の動きであつて、外部からうかがい知ることが困難であり、極言すれば、いおうと思えば、なんとでもいえる面もあるところ、被告人は、知能が高く、高校文化祭の演劇の出し物として「私達のナース」のシナリオを書きおろすほどの才能をもつていたことが認められるのであるから、被告人が真犯人になろうと思えば、かような動機を考え出すことは必ずしも困難ではなかつたと思われる。

また、動機に関する被告人の自白のうち、試験期間中、友人が下宿に寄りつかなくなつたので、学校に放火して試験が中止になれば、友人が下宿を訪ねて来ると思つたという点は、中間試験はいずれあと一日で終了することとなつていたこと、被告人が最も会いたい人物であるKは、名古屋公演を終つて、一〇月二六日には帰京する予定となつていたことを考えれば、放火の動機としてはやや薄弱というほかはない。もつとも、放火犯人の心理は複雑であるから、所論のいうとおり、試験期間中、ホモの相手となるような友人は下宿に訪ねて来なかつたことから、Kにも会えない淋しさの余り、衝動的に放火することがないとはいえない。しかし、そのことを考慮しても、原判決は、被告人の自白は放火の動機としてはやや薄弱であると判示しているだけで、全く不合理で、ありえないものとまではいつていないのであるから、原判決がこの点で皮相の理解に止まつているとはいえない。

要するに、放火の動機に関する被告人の自白は、全く信用し得ないというものではないが、有罪の極手となるほどの高い証拠価値を有するものでもない。この点に関する原判決の判断が誤つているとはいえず、所論は採用できない。

一一、検察官に対する自白の信ぴよう性

所論(控訴趣意第三、三)は、原裁判所が証拠能力があるものと認めて採用した、被告人の検察官に対する供述調書四通は、被告人が、半月間の勾留執行停止を得て、肛門周囲膿瘍の手術を受け、一二月一五日退院したのち、肉体的にも精神的にも安定した状況の下で、検察官小林久義が真摯な態度で取り調べた結果作成されたものであつて、同検事の取調方法になんら非難される点のないことは、原判決も認めるところであるのに、特段の事由がなく警察官の取調が検察官に対する自白の信ぴよう性に影響すると断定したのは、経験則に反し、検察官の取調の自主性ないし検察官面前の自白の独立性を無視したものであるという。

ここでも、慎重を期するため、被告人の公判廷における弁解をしばらく措き、捜査官側の証拠、とくに原審証人矢野貴、同小林久義の各供述を総合すると、

(一)、前記四、(三)のとおり、被告人が放火事件につき身柄付きで検察庁へ送致された一一月二六日に、小林検事は、被告人の弁解に虚心に耳を傾け、否認調書を作成したが、これを聞いた矢野警部補は、同日直ちに被告人を取り調べ、「私は検察庁で否認したのではない。」と苦しい弁解をさせて、自白に引き戻し、被告人としては、その前日同警部補にゆさぶりをかけられていたこともあり、その後はもはや検察官に対して否認しても致し方がないとの心境に達していたものと思われること、

(二)、矢野警部補は、右一一月二六日の自白調書を小林検事に送りつけ、同検事から「余計なことをするな。」と叱られたこと、

(三)、同警部補は、被告人が検察官の取調を受けるときには、その前に、被告人に対し「ただ、私に述べたことを言えばよい。」旨告げて、釘を刺したこと、

(四)、同警部補は、勾留執行停止が終つた一二月一五日以降同月二二日まで、ほとんど連日被告人を取り調べたが、小林検事の一二月二二日の取調は同警部補の取調と同じ日のものであること、

(五)、同警部補は、一二月二三日から中野署へ顔を出さず、同月二五日には予定どおり病院へ入院してしまつたので、小林検事の同月二五日および同月二六日の取調の時は、同警部補が事前又は事後に被告人の供述に直接影響力を及ぼすことはできなかつたと認められるけれども、一一月一二日以来の同警部補の被告人に対する精神的影響力は、一朝一夕には消えてしまつたものとは考えられないこと、

(六)、一二月二二日より同月二六日に至る被告人の検察官に対する各供述調書の供述内容を検討すると、放火の犯行に至る動機が、矢野警部補に対する供述調書の供述内容よりも要領よく取りまとめられており、また、同警部補の調書では、酒を飲んでひどく酩酊している者としては、到底記憶できないと思われるほど、放火の手段方法が微に入り細をうがつて記載されているのと対比して、検察官に対する供述調書では、この点がほどほどの詳しさに止まつているなどの相違点はあるけれども、その大筋には変りなく、司法警察員に対する供述調書の延長線上にあるものであること、

(七)、被告人の検察官に対する一二月二五日付供述調書に添附された図面は、被告人が犯行当夜の学校の内外における行動のあとを図面で示したものであるが、右図面の記載内容は、被告人が意味もなく校庭を徘徊したコースも含めて、被告人の矢野警部補に対する同月二二日付供述調書に添附された図面の引写しであり、結局、被告人は、矢野警部補に供述したと同じ内容を小林検事にも供述しようとしていたことがうかがわれること、

以上の事実が認められる。してみれば、本件において中正公平に取り調べようとした小林検事の努力は、矢野警部補らの工作によつて妨げられたものであつて、被告人の警察官に対する供述に信ぴよう性のないことが、検察官に対する供述の信ぴよう性をも失なわせることとなる特段の事情があつたものといわなければならない。

被告人の検察官に対する供述調書に信ぴよう性を認めなかつた原判決が、証拠の評価を誤つているとはいえない。

一二、その他

そうであるとすれば、

(一)、原判決は、被告人の自白によると、被告人は、放火の前後相当時間、さしたる意味もなく校庭を徘徊して、不必要な時間を空費したことになつており、特に、放火のあと、「大変だ。」と後悔したのであれば、速かに現場から離脱したいと考えるのが通常であるのに、うつろな気持で校内を歩き廻つた旨自白しているのは、いささか不自然、不合理であると判示しているが、被告人の右のような行動については、所論(控訴趣意第三、八、2、4)指摘の理由づけにも首肯すべきものがあり、一概に右行動が不自然、不合理であるとはいえないこと、

(二)、所論(控訴趣意第三、九、2、(四))のとおり、本件火災前日(一〇月二五日)夕方の被告人の所持金と、火災当日(同月二六日)夕方の被告人の所持金の差額は、被告人が地下鉄中野坂上、中野富士見町駅間の切符を買つて、下宿から富士高校へ行き、同校近くからタクシーに乗つて帰宅した場合の支出額にほぼ見合い、この点に関する被告人の自白と所持金の減少額は殆んど一致すること、

などの点を考慮に入れるとしても、結局、被告人の捜査官に対する自白は信ぴよう性のないものであつて、これと同趣旨に出た原判決の判断が誤つているとはいえない。

一三、実況見分の指示説明の信ぴよう性

所論(控訴趣意第四)は、原判決は、昭和四八年一二月二一日および同月二四日実施の実況見分の際の被告人の指示説明についても、その信ぴよう性に疑問がある旨判示しているけれども、右一二月二一日の実況見分は、それまでの被告人の自白内容を吟味するため、それまで放火事件の捜査を担当していなかつた内田警部補を実況見分者に充て、被告人の取調を担当していた矢野警部補は、小林検事とともに、終始被告人から離れた場所で観察するなどの配慮をしているのであつて、指示説明の任意性を疑わせるような事実は全くない、そして、右二回の実況見分とも、勾留執行停止期間満了後、被告人の心身の安定が回復した状況の下で、体験者でなければなし得ないことを極めて自然な態度で実地に示した実感性のあふれるものであつて、信ぴよう性に欠けるところはないという。

よつて、ここでも慎重を期するため、被告人の原審公判廷における弁解をしばらくさておき、原審証人矢野貴、同内田利雄、同小林久義の各供述を総合して検討すると、

(一)、昭和四八年一二月二一日実施の実況見分(調書は同月三〇日付)は、富士高校における犯行全般につき被告人の指示説明を求めた重要なものであるが、

(イ)、右実況見分は、矢野警部補が、総括責任者として、その準備一切を整えたうえ、実況見分の担当を中野警察署内田警部補に依頼したものであつて、内田警部補は、矢野警部補の態度に内心憤慨したが、警視庁本庁から派遣された者の依頼をことわることはできず、やむを得ずこれを引き受けたこと、

(ロ)、実況見分に先立ち、矢野警部補は、自己のそれまでに得た知識に基づき、放火現場の諸道具、媒介物等を出火当時と同様に準備し、他方、被告人に対しては、「君が今までここで話したとおりにしなさい。」と指示したこと、

(ハ)、実況見分の現場で、小林検事は終始被告人から離れたところにいて観察したが、矢野警部補は時々被告人に近づいたこと

などが認められ、右実況見分は、それまで被告人に自白を強制していた矢野警部補の影響の下に、被告人がそれまでの自白の内容に従つて指示説明した(被告人にはその程度の記憶力と演技力は十分あつたものと認められる。)に過ぎないものであると考えられること、

(二)、一二月二四日実施の実況見分(調書は同月二七日付)は、東京消防庁火災実験室において、出火当時と同じ状況に道具類、媒介物等を準備した上、点火および焼燬の状況を被告人に指示説明させたものであつて、矢野警部補は立ち会つていないけれども、結局従前の自白に従つて被告人が演技したに過ぎないものと解せられること、

以上の事実が認められ、これらを合わせ考えれば、右二通の実況見分調書の指示説明とも、被告人の捜査官に対する自白と同様、信ぴよう性はないものであつて、この点に関する原判決の判断が誤つているとはいえない。

第三、結論

以上のとおりであつて、被告人の捜査官に対する自白および実況見分に際しての指示説明は、いずれも信ぴよう性を欠くものであり、目撃証人Oの供述もさほど信用性の高いものではなく、もとよりこれのみで被告人の有罪を認めるには程遠いものである。そして、記録を調査しても、それ以外には、被告人の有罪を認めるに足りる証拠は存在しない。従つて、本件放火の公訴事実は、これを認めるに足りる証拠がないものであつて、この点につき犯罪の証明がないものとして無罪の言渡をすべきものであることは明らかである。これと同趣旨に出た原判決には事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

第二部  控訴趣意中、訴訟手続の法令違反を主張する点について

控訴趣意第五は、原審の訴訟手続の法令違反を主張し、「原裁判所は、昭和四九年一二月九日、別件(窃盗)逮捕・勾留中における本件(放火)の取調を違法とし、かつ、本件逮捕・勾留中の取調も、別件逮捕・勾留中の取調の違法を引き継いだものであるとして、被告人の捜査官に対する供述調書二五通の証拠能力を認めず、その取調請求を却下する決定をしたが、右決定(以下原決定と略称する。)の見解は従前の最高裁判所および高等裁判所の判例にも反する不合理なものであり、右判例の示す基準に照らして、本件の場合、別件逮捕・勾留中の本件の取調にはなんら違法視せられるべき点はなく、任意捜査の限界をも逸脱していない。従つて、却下にかかる各書証は、違法な取調に基づくものでなく、任意性も認められるから、証拠能力を有することは明らかであるところ、右書証の内容は、いずれも本件放火と被告人とを結び付けるものであつて、罪体立証のための重要証拠であり、これが採用されれば、原審が採用した証拠とあいまつて、公訴事実の証明が一層容易にできたはずであるから、右訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。」という。

よつて、記録および証拠物を調査して検討すると、原決定は、検察官の請求にかかる被告人の捜査官に対する現住建造物等放火被疑事件に関する供述調書二九通のうち、検察官に対する供述調書四通(昭和四八年一二月二二日付、同月二五日付各一通、同月二六日付二通)のみを採用して取り調べ、その余の書証二五通(被告人の司法警察員武藤忠平に対する供述調書三通、司法警察員矢野貴に対する供述調書二一通、検察官に対する供述調書一通)を、すべて別件逮捕・勾留中の違法な取調によつて作成されたもの、または右取調の違法を引き継いで作成されたものであるとして、証拠能力を認めず、これを却下したものである。

一、本件捜査の経過

次に、本件捜査の経過を関係証拠によつてみるに、捜査当局は、当初から本件火災につき放火の疑いを抱き、警視庁捜査一課火災班係長武藤忠平警部、同班主任矢野貴警部補らを所轄の中野警察署に派遣して、合同の捜査本部を設け、聞き込み捜査を続けるうち、昭和四八年一一月五日富士高校定時制四年生Oから、火災当日午前一時半ごろ、同高校体育館北側のブロツク塀のところで、被告人を見た旨の供述を得、他方、被告人の身辺捜査を行なつて、被告人には住居侵入の前科一犯があること、酒が好きで、夜間出歩くことが多いこと、金廻りがよいこと、性倒錯者であること、同年一〇月二三日から行なわれた中間試験に欠席していたことなど、不審な点が発見されたが、未だ逮捕状を請求しうるまでの資料を得ていなかつた。ところが、捜査当局は、右捜査中に、被告人がもと警察官であつたと生徒仲間で自ら称しており、被告人の下宿の部屋には警察官の制服制帽などがある旨の聞き込みを得、被告人に対し、昭和四五年五月に発生した四谷警察署四谷見附派出所における警察官の制服制帽、無線通信機等の窃盗事件の嫌疑を深め、同四八年一一月一二日午前八時ころ、被告人を下宿から中野署へ任意出頭を求め、右窃盗事件を取り調べたところ、被告人は間もなく同日中に右事実を自白した。そこで、当局は、被告人の居室に対する捜索差押令状を得て、捜索の結果、窃盗の賍品を発見したので、窃盗事件の逮捕状も得て、同日午後六時五分、被告人を逮捕した。当局は、右逮捕後、窃盗事件と並行して放火事件の取調をする方針をとり、翌一三日以降、午前中は主として窃盗事件(逮捕状記載の四谷警察署の事実だけでなく、被告人の自白した窃盗の余罪一一件を含む。)の取調を行ない、午後及び夜間は主として放火事件の取調を行なうこととした。被告人は、各窃盗事件については自白を続けたが、放火事件については否認し、窃盗事件の勾留後も放火事件の否認を続けたので、武藤警部が連日被告人を追及した結果、同月二〇日に至つて、被告人は、放火事件の概略を自白し、翌二一日、ポリグラフ検査を経て、さらに自白を重ね、結局、捜査当局は、合計五通の放火事件の自白調書を作成のうえ、同月二四日、放火事件の逮捕状を得て、被告人を逮捕し、引き続き被告人を勾留した。しかし、被告人は、持病の痔疾が悪化し、痛みを訴えたので、当局は、同年一二月一日から同月一五日まで勾留執行停止を得て、被告人を小原病院に入院させて、手術を受けさせたが、執行停止期間が終つたあと、さらに勾留の延長を得て取調を行ない、同月二八日、被告人を勾留のまま起訴するに至つた。なお、被告人の右捜査期間中における供述の変遷は、すでに第一部、第二、一に示したとおりである。

二、別件逮捕・勾留中における本件取調の適法の限界と原決定の当否

ところで、ある事実(別件)について逮捕・勾留中の被疑者を、当該被疑事実と別の事実(本件)について取り調べることは、一般的に禁止されているものではなく、また、その取調に当つて、その都度裁判官の令状あるいは許可を受けなければならないものではない。しかしながら、例えば、別件の逮捕・勾留が、専ら、いまだ証拠の揃つていない本件について被疑者を取り調べる目的でなされ、証拠の揃つている別件の逮捕・勾留に名を借り、別件については身柄拘束の理由と必要性がないのに、その身柄拘束を利用して、本件について取り調べるのと同様な効果を得ることを狙いとした場合など、日本国憲法および刑事訴訟法の定める令状主義を実質的に潜脱することとなる場合には、その捜査手続は違法のそしりを免れず、その捜査の手続によつて得られた被疑者の自白は、証拠能力を有しないものといわなければならない(最高裁判所昭和四九年(あ)第二、四七〇号、同五二年八月九日第二小法廷決定、刑集三一巻五号八二一頁参照。)。

そこで、右の基準に照らして、本事件における別件逮捕・勾留およびその間における本件の取調が違法であるか否かについて検討を加えることとする。

(一)、まず、第一次逮捕および勾留の適否について考えるに、右逮捕および勾留の基礎となつた被疑事実は、被告人が、昭和四五年五月、四谷警察署四谷見附派出所に忍び込んで、警察官の制服・制帽・無線通信機等を窃取したというものであつて、その罪質、態様において悪質であり、その賍品が過激派学生に悪用される恐れも考えられ、警視庁において重要事件として指定されていたこと、他方、被告人は、単身下宿住まいをする身で、逃亡の恐れがないとはいえなかつたことなどに鑑みると、右被疑事実による逮捕および勾留は、その理由と必要性があり、適法なものであるといわなければならない。もつとも、右窃盗事件の逮捕に当つて、捜査当局は、右窃盗事件の取調のほか、これと並行して本件放火事件の取調をも行う意図をもつていたことも認められるが、このことが直ちに右逮捕・勾留を違法とするものではない。

さらに、右逮捕・勾留中に取り調べられた一一件の窃盗事件は、被告人が、新宿周辺の消防署、国鉄、私鉄の係員詰所、青果市場、警備保障会社、運送会社等の事務所、社員寮、公立、私立高校の校舎等に忍び込んで、男子職員、男子生徒の制服制帽、体育着等を窃取した事案であつて、被告人が逮捕後たやすく犯行を自白し、その賍品も大部分被告人の下宿から発見されていること、これら事件はいずれも起訴され、原判決において有罪を宣告されていることなどの事実に鑑みると、これら窃盗の余罪の取調にも、なんら非難されるべき点は見当らない。

(二)、次に、右別件逮捕・勾留中における本件、すなわち放火事件の取調の適否について検討すると、原決定は、別件による身柄拘束は、その根拠それ自体を欠くようなものではなかつたことを認めながら、捜査当局は、当初から窃盗についての身柄拘束状態を利用して、放火につき取調を行なう意図であつたこと、取調時間の大部分は、未だ適法な令状発付のない放火についての取調にあてられていること、取調に当つて、取調受忍義務のないことを被告人に告知していないのみならず、黙秘権、弁護人選任権をも告知していないこと、痔疾による苦痛を訴えていた被告人に対し、連日長時間にわたり取調を受けるのやむなきに至らせたことなどを挙げて、放火事件の取調は違法なものと判示している。そこで、原決定の挙げた諸点について、順次考察する。

(三)、原決定は、捜査当局が、窃盗事件による逮捕・勾留の当初から、同事件による身柄拘束を利用して放火事件の取調を行なう意図であつたことをもつて、放火事件の取調を違法なものとする理由の一に挙げている。

しかしながら、前記のとおり、捜査当局は、窃盗事件の逮捕・勾留中に同事件の取調を行なう意図をもち、右取調と並行して放火事件の取調を行なう意図をあわせもつていたに過ぎないと認められるのであるから、専ら放火事件の取調をするために、窃盗事件の逮捕・勾留に名を借りたものとまではいうことはできず、この点から放火事件の取調が直ちに違法であるとはいえない。

(四)、次に、原決定は、窃盗事件による逮捕・勾留中の取調時間の大部分が、未だ適法な令状の発付されていない放火事件の取調に充てられたことをもつて、放火事件の取調を違法とする理由の一としている。

そこで、別件逮捕・勾留中における窃盗および放火各被疑事件の取調時間を、留置人出入れ簿謄本、原審および当審証人武藤忠平、同矢野貴、原審証人内田利雄の各供述を総合して検討すると、

(イ)、窃盗関係(いずれも昭和四八年)

月日

取調時刻

取調時間

一一月一三日

午前一〇時より午後二時三〇分

四時間

一一月一四日

午後零時四五分より三時一五分

二時間三〇分

一一月一五日

午前九時一〇分より午後一〇時二五分

一時間一五分

一一月一六日

午前九時五分より午後零時一〇分

三時間五分

一一月一七日

午前九時一〇分より午後二時五〇分

四時間四〇分

一一月一八日

午前九時一〇分より午前一二時

二時間五〇分

一一月一九日

午前九時一〇分より午前九時四〇分

午後三時三〇分より五時三五分

二時間五分

一一月二一日

午前九時四〇分より午後零時一〇分

二時間三〇分

一一月二四日

午前九時二五分より午後零時二五分

三時間

(放火罪による逮捕状執行前)

合計 二五時間五五分

(ロ)、放火関係(いずれも昭和四八年)

月日

取調時刻

取調時間

一一月一三日

午後二時三〇分より九時一五分

六時間一五分

一一月一四日

午後三時一五分より九時五六分

六時間一一分

一一月一五日

午前一〇時二五分より午後九時五〇分

一〇時間二五分

一一月一六日

午後零時一〇分より九時一〇分

八時間

一一月一七日

午後二時五〇分より五時三〇分

二時間一〇分

一一月一八日

午後零時より六時一〇分

五時間一〇分

一一月二〇日

午前一〇時三五分より午後九時一〇分

九時間三五分

一一月二一日

午後一時より七時三〇分

六時間

一一月二二日

午前九時三〇分より午前一二時

午後三時より八時三〇分

七時間三〇分

一一月二三日

午前九時三〇分より午後七時二三分

八時間五三分

合計 七〇時間九分

(注、食事および入浴時間に当るときは、各三〇分を差引く。)

以上の事実が認められる(原審証人内田利雄は、一一月二二日に、午前中か午後かはつきりしないが、窃盗事件で約二時間取り調べた旨供述する。しかし、当日付の窃盗事件の供述調書は見当らず、調書作成以外の引当り、賍品確認等の捜査が行なわれた旨の指摘もない。かつ、当日は、午前および午後の放火事件の取調の合間に、被告人が痔の治療および梅毒の検査に小原病院へ赴いていることを考えると、窃盗事件の取調はなかつたものと認められる。)。してみると、原決定が、窃盗事件の取調に用いられた時間は、せいぜい二〇時間を僅かに越える程度である旨認定した点、および放火の取調時間が優に九〇時間を越える旨認定した点は、当裁判所の右認定と異ることとなるが、取調時間の大部分が放火事件の取調に充てられたことには変りはない。

いずれにせよ。右のように、窃盗の取調時間に較べて放火の取調時間がはるかに長いことは、捜査当局が窃盗事件の取調よりも放火事件の取調に重点を置いていたことを示すものであるが、単にこのことのみによつては、いまだ別件の逮捕・勾留に名を借りて、専ら本件について取り調べたものとまでいうことはできないものと考える。

(五)、原決定は、窃盗事件による逮捕・勾留中に放火事件について取り調べるには、予め被疑者に対し取調受忍義務がないことを明確に告知すべきであるのに、本件においてこれを告知した事実がないことは違法である旨判示し、その法律的理由付けとして、刑事訴訟法一九八条一項によると、逮捕又は勾留された被疑者は、捜査官の出頭要求や取調に対し、これを拒んだり、出頭後自己の意思により退去したりすることが許されない(すなわち取調受忍義務がある。)とされているが、同条項は、原則として、被疑者が逮捕された事実について取調を受ける場合に妥当する規定であると解するのが相当である、これに反し、被疑者が、右事実と関係のない別個の事実につき取調を受ける場合には、在宅の被疑者の場合と同様、捜査官の出頭要求を拒み、あるいは出頭後何時でも退去して、自己の居房に引き上げることができるものと解すべきである、このことは、身柄拘束の許否につき、事実ごとの厳格な司法審査を経ることを必要とした、わが刑事訴訟法の各規定の趣旨(いわゆる事件単位の原則)から見て、当然のことと解されるという。

しかしながら、刑事訴訟法一九八条一項但書は、取調を受ける被疑者が逮捕又は勾留されているという状態に着目して規定されたものであつて、特定の犯罪事実ごとに取調の限界を定めた規定と解するのは相当ではない。ちなみに、右但書は、同法二二三条により、取調を受ける第三者にも準用されているが、第三者については、当該被疑事実について逮捕又は勾留されている場合は考えられないのであつて、これとの対比からも、被疑者について右但書の規定を、ことさら狭く解しなければならないとするのは不合理である。

(もとより、そうだからといつて、余罪の取調を、取調受忍義務のある被疑者に対して無制限に行なつてよいということにはならないのであつて、別件の逮捕又は勾留に名を借りて、令状主義を潜脱する程度にまで至れば、余罪の取調が違法なものとなるものと解すべきことは、前記のとおりである。)

そうであるとすれば、本事件において、窃盗罪により逮捕又は勾留中の被告人を放火事件で取り調べるに先立ち、捜査官が予め取調受忍義務のないことを告知すべきであるのに、これを告知しなかつた違法があるとする原決定の見解には、左袒することができない。

なお、原決定は、捜査官が、放火事件の取調に当つて黙秘権および弁護人選任権を告知した事実もないというが、原審および当審証人武藤忠平、同矢野貴の各供述によれば、右警察官二名は、被告人の取調に当つて右の権利を告知したことが認められる。

(六)、次に、原決定は、放火事件の取調が違法である理由の一として、痔疾による苦痛を訴えていた被告人に対し、連日長時間にわたる取調を受けるのやむなきに至らせたことも挙げており、右の点は事実そのとおりであるけれども、かような取調が許されないのは、別件逮捕中であろうと、本件逮捕中であろうと異なるところはなく、この点は、自白の任意性の有無の観点から取り上げるのが相当である。

(七)、以上のとおりであつて、原決定が第一次逮捕・勾留中の放火事件の取調が違法となる理由として挙げた諸点のうち、実質的に本件取調の適否に関連のあるものとしては、捜査当局が別件逮捕の当初から本件取調の意図をもつていた点と、別件取調の時間の長さに比較して、圧倒的に本件取調の時間が長いことの二点に帰することとなる。しかし、これらの点を総合して考慮してみても、捜査当局が、専ら本件取調の目的をもつて別件の逮捕・勾留に名を借り、実質的に令状主義を潜脱したものとまでは認めることができない。記録を調査しても、そのほか、本件放火事件の取調が別件逮捕・勾留中になされたことを理由として違法とされる根拠は見当らない。

また、右のとおり第一次逮捕・勾留中の放火事件の取調が違法と認められない以上、その違法が第二次逮捕・勾留中の取調に引き継がれることもありえないことは明らかである。

してみると、別件逮捕・勾留中の放火事件の取調が違法であることを理由として、放火被疑事件の供述調書の証拠能力を否定した原決定の見解には、当裁判所として同調することはできない。しかしながら、原決定のいうとおり、右各供述調書における自白の任意性については、別途にこれを問題とする余地があるので、以下四において、この点について検討を加えることとする。

三、原決定が判例に違反するとの主張について

所論(控訴趣意第五、一、2)は、別件逮捕中の本件の取調は、取調受忍義務を伴わない純粋な任意捜査にとどまらない限り、違法であるという原決定の見解は、最高裁判所昭和三〇年四月六日大法廷判決(刑集九巻四号六六三頁)、大阪高等裁判所昭和四五年四月二四日判決(判例時報六〇七号九二頁)、同裁判所昭和四七年七月一七判決(高刑集二五巻三号二九〇頁)、東京高等裁判所昭和四九年一〇月三一日判決(高刑集二七巻五号四七四頁)の各判例に違反するものであると主張する。

しかし、所論指摘の各判例は、別件逮捕・勾留中の本件の取調が、取調受忍義務を伴わない純粋の任意捜査にとどまらない限り違法であるとの原決定の見解に反する判断を示しているものではないから、所論はその前提を欠くものである。

四、原決定が却下した各供述調書中の被告人の自白の任意性

所論は、右各供述調書中の自白には任意性も十分認められる旨主張するので、この点を調査して検討すると、原審証人武藤忠平、同矢野貴、同小林久義、同渡辺秀雄、同内田利雄、同竹内惟義、当審証人武藤忠平、同矢野貴の各供述、武藤警部作成のメモおよび原審において却下した供述調書二五通の供述記載を総合すれば、

(一)、第一部、第二、二記載のとおり、被告人は、被告人と長年男色関係にある人間国宝Kが、本件において参考人として取調を受けた場合、そのことが同人の妻や報道機関等に知られ、同人の家庭の平和、社会的地位、名誉等に傷がつくのではないかといたく憂慮していたところ、被告人の取調に当つた武藤警部、矢野警部補らは、このことを知りながら、被告人の供述次第では、警察においてKを取り調べることもある旨示唆し、そのため被告人は、虚偽の自白をしても、Kの家庭、地位、名誉等を守ろうという心境に至つたこと、

(二)、第一部、第二、三記載のとおり、放火事件の取調に当つて、武藤警部補は、必ずしも信ぴよう性の高くないOの供述を根拠として、被告人に対し、「当夜学校で君を見た者がいる。」旨強く申し向け、当夜酒に酔つて下宿で寝ていた記憶のある被告人は、夢遊病者となつて学校へ行つたのかと考え、自己の精神状態を疑い、梅毒の検査を強く要望するまでになつたこと、また、武藤警部は、必要もないのにポリグラフ検査を行ない、その直後、「検査の質問事項の中に正しい答が一つある。」旨示唆して、放火の手段方法につき甚だしい誘導をしたこと、

(三)、第一部、第二、四記載のとおり、武藤警部を引き継いだ矢野警部補は、一一月二五日、被告人にゆさぶりをかけて、一旦自白を翻させたあと、直ちに自白に引き戻し、被告人が翌二六日の検察官の弁解録取、翌々二七日の勾留質問の機会にそれぞれ否認するや、同警部補は、直ちに被告人を取り調べて、その都度自白の状態に戻し、結局、被告人としては、たとえ否認しても、矢野警部補の前では直ちに自白させられてしまうというような精神状況に陥れられたこと、

(四)、被告人は、第一次逮捕当初以来、別件窃盗事件の捜査を担当する内田警部補に対しては痔の痛みを訴え、同警部補は、被告人に蒲団を与え、「横になつてもよい。」といつて取り調べたのに、被告人は、放火事件担当の武藤警部に対しては、自白を始める一一月二〇日前後ころ、痔の痛みが特に激しくなつてから、漸くこれを訴えたものであるが、これに対して同警部は、市販の坐薬を与え、椅子を二個並べて、「楽な姿勢で取調を受けてもよい。」と告げた程度で、一日当り六時間ないし九時間半の長時間にわたつて被告人を取り調べたこと、被告人は、第二次逮捕・勾留のころには肛門周囲膿瘍をも併発し、激痛を覚えるようになり、一一月二九日、竹内医師より手術が必要といわれ、一二月一日、小原病院へ入院するに至つたが、右入院の前日まで取調が続けられたこと、

以上の事実が認められ、被告人は、精神的にも肉体的にも疲労困憊した状態の下で、取調官からKとの関連による精神的圧迫と甚だしい誘導を加えられたものであるから、その結果なされたと認められる前記供述調書中の被告人の自白は、第一次勾留中のものであると、第二次逮捕・勾留中のものであるとを問わず、任意になされたものではないといわなければならない。

一二月一五日以降の矢野警部補に対する自白について考察すると、なるほど、被告人は、同月一日より一五日まで勾留執行停止を得て、小原病院で手術を受け、予後は良好で、同月一五日以降被告人の健康は回復していたと見られるけれども、右勾留執行停止期間中も警察官が被告人の病室で交替で監視に当つていたこと、矢野警部補の一一月一二日以来の被告人に対する精神的影響力は、容易なことでは除去されないほど強いものであつたことなどに鑑みると、一二月一五日以降の自白についても、任意になされたものであるとは認められない。

そうであるとすれば、原決定が却下した被告人の供述調書二五通は、いずれもその自白に任意性が認められないものであつて、すべて証拠能力を有しないものと認めるのが相当である。してみると、原決定は、当裁判所とは理由を異にするけれども、その全部について証拠能力を認めなかつたのであるから、その結論に変るところはない。

原決定およびこれを前提とした原判決の判断は、結果において正当であつて、原裁判所の訴訟手続に法令の違反は存しない。論旨は理由がない。

五、原裁判所が採用した検察官調書の証拠能力

弁護人は、当審の公判において、原裁判所が証拠能力を認めて採用した被告人の検察官に対する供述調書四通についても、同様、証拠能力を認めるべきでないとして、その排除を申し立てた。しかしながら、控訴審は、原判決の当否を事後の観点から審査するものであつて、独自に事実を認定することを使命とするものではないから、たとえ控訴裁判所が、原審の採用した証拠に証拠能力を認めることはできないものと考えても、中間決定をもつてこれを排除することは相当でなく、終局判決をもつて原審の措置の当否を判断すべきものである(所論の引用する大阪高等裁判所昭和四八年三月二七日決定((刑裁月報五巻三号二三六頁))は、最高裁判所において、差戻前の控訴審における自白の任意性に関する審理不尽を理由として破棄差戻をした後の、第二次控訴審における判断であつて、特殊の事情がある場合であるから、事案を異にし、本件に適切ではない。)。

そこで、所論に鑑み、原裁判所の採用した検察官調書四通(一二月二二日付、同月二五日付各一通、同月二六日付二通)の証拠能力について検討すると、すでに第一部、第二、一一において、右各供述調書の信ぴよう性につき判断した際示したように、

(一)、被告人は、一一月二六日、検察官による放火事件の弁解録取の機会に犯行を否認したものの、その日直ちに矢野警部補によつて自白させられてしまい、もはや再度検察官の面前で否認しても、結局、警察官により自白に引き戻されることになると観念したものと思われること、

(二)、矢野警部補は、被告人が検察官の取調を受ける前に、「ただ、私に述べたことをいえばよい。」旨被告人に告げて釘をさしたこと、

(三)、同警部補は、被告人の痔の入院手術のための勾留執行停止が一二月一五日に終了した後も、すでに被告人に加えられていた強制に基づき、同月二二日まで連日放火についての詳細な自白を求めて来たこと、

(四)、同警部補は、一二月二三日からは中野警察署へ顔を出さず、予定どおり同月二五日、入院したから、原決定が採用した同月二五日付および同月二六日付検察官に対する各供述調書については、検察官の取調の前に、同警部補が被告人に対し、「私に述べたことを言えばよい。」などと直接供述内容を示唆したことはありえないけれども、同警部補が一一月一二日以来被告人に行使して来た精神的影響力が、一朝一夕に消えてなくなつたものとは思われないこと、

(五)、小林検事は、被告人が、一一月二六日、同検事の面前で否認した直後に、矢野警部補が被告人に自白させて作成した供述調書が後日送られて来たとき、同警部補に対し「余計なことをするな。」と叱りつけたこと、また、右供述調書には、「私は、本日検事さんに取り調べられ、事件を否認したということですが、それは私の言い方が悪いので、別に否認したりしません。」などと、常識では理解できないような供述記載があることから考えて、同検事としては、本件には矢野警部補らによる裏工作があるのではないかと警戒してもよかつたと思われるのに、その後に同検事が被告人を取り調べて作成した供述調書は、被告人の矢野警部補に対する供述調書の延長線上にあるもので、検察官の独自の捜査のあとがうかがわれないこと、

(六)、原決定の採用した検察官に対する供述調書四通の記載内容をみると、放火の動機の記載が、司法警察員に対する供述調書の記載内容に較べて要領よくまとまつていること、放火の犯行の手段・方法の記載が、司法警察員に対する供述調書では不自然なほど詳細に過ぎるのに較べて、ほどほどの詳しさに止まつていることなどの点に相違があるだけで、大綱には変りはないこと、

(七)、一二月二五日付検察官に対する供述調書に添付された被告人作成の図面は、同月二二日付矢野警部補に対する供述調書に添付された被告人作成の図面とそつくりであつて、ことに、被告人が意味もなく校庭内を歩き廻つたコースという、最も記憶に残りにくい事項に関してさえ、酷似していることは、被告人が、矢野警部補に述べたと同じ事項を、検察官にも述べざるをえないという心組になつていたことを物語るものであること、

などの諸点に照らすと、右検察官に対する供述調書中の被告人の供述記載は、矢野警部補の強制から何の影響も受けずになされた任意の自白であると断定することはできず、結局、その任意性に疑いがあるものといわざるをえない。原決定は、被告人の入院手術が終了した後は、被告人は健康を回復しており、一五日間に及ぶ勾留執行停止は、被告人の極度に混乱した心理状態ないし気力の回復にも好影響があつたはずである旨判示しているけれども、それらの点を斟酌するとしても、右の結論に影響を及ぼすものとは考えられない。

してみると、原決定の採用した検察官に対する供述調書四通につき、任意性を疑わせる事情が認められない(ならびに、別件逮捕・勾理中の取調の違法を遮断するに足りる特段の事情がある。)旨判示した原決定は、任意性の判断を誤つたものといわざるをえない。従つて、右各調書を採用した原裁判所の手続は、法令に違反したものであるが、原判決は、右検察官に対する供述調書には信ぴよう性は認められないとして、結局、被告人に対し無罪の言渡をしているのであるから、右の誤りは判決に影響を及ぼすものではない。

全体の結論

右のとおりであつて、原判決に所論の事実誤認および訴訟手続の法令違反はいずれも認められず、論旨はすべて理由がない。なお、検察官は、原判決のうち有罪部分については、控訴趣意としてなんら主張せず、したがつて控訴の理由がないことに帰する。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 綿引紳郎 石橋浩二 藤野豊)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例